幼少期の介護の経験は、常に私の指針になっているようです。
医療機器の機械屋の道へ進んだはずが、建築屋に。
それは必然だったと、今、思えます。
辛かった介護の経験が今に活きている。
私には一つ年下の妹の介護の経験があります。 予防接種の後遺症による脳障害でした。とても賢く、家族の中心的な明るい妹でした。
入浴は家族総出の作業。 当時では珍しい2人用の浴槽を設置して、父親や兄が介助しながらの入浴でした。
24時間、365日、家族の誰かが見守っている生活でした。寝たきりだったので、床ズレしないように定期的に姿勢を変えてあげたり、流動食のパックを交換したり、手や足を揉みほぐしてあげたり。毎晩、病気が治ることを祈りながら寝床につく日々の8歳〜12歳までの約4年半の闘病生活は死によって終わりを告げました。
そんな経験が医療機器の機械設計への道へ進むきっかけでした。
そんな私が建築の世界へ入った理由
大手医療機器メーカーの仕事を請け負っていた会社で、設計開発部門に在籍していました。大学病院などから特注の検査器具の依頼を受けることもありました。仙台でスタートした結婚生活でしたが、世の中が ”核家族化”へ進む中、テレビでは ”幼児虐待”などの報道が盛んな時代でしたので、子育ての事を考えると知人のいない現在の場所よりも、家族がいる地元へ、生まれ育った一関へ帰ろうとUターンしてきました。「新しい仕事がみつかるまで、少し手伝ってくれないか。」と銘木屋を稼業としていた、義父からの申し出が建築業界への一歩でした。軽い気持ちで引き受けた仕事でしたが。建築の世界に引き込まれ、独学で建築を勉強して資格を取得したり、介護の経験から福祉住環境の資格、不動産にいたるまで、夢中になっていました。
住まいが健康を害する
一関へ帰ってきた当時、私たち家族は新築の雇用促進住宅に住んでいたのですが、いつからか、娘が「体が痒い…。」と言い始めました。病院に連れて行くと結露によるカビ、新しい建材の糊などが原因のアレルギーと診断されました。「シックハウス症候群」「シックスクール」「シックホスピタル」さまざまな言葉で問題となりました。原因は合板建材に使用されている接着剤や塗料が主でした。住宅の性能が上がったことによる結露やカビが問題を大きくしました。私自信も以前から呼吸が苦しくなる症状はあったんですが、症状がひどくなってきたので診察を受けたとろ ”アレルギー性気管支ぜんそく” と診断されました。「このままでは、住まいに家族が殺されてしまう。」との思いから、これまでの知識や経験を活かした家族のための住まい作りをスタートさせました。接着剤を使わない、自然素材の家・木の家は私の家族を優しく守ってくれています。
事業テーマ『 最後まで住み続ける家 』 安全住宅・安心不動産 株式会社井上建築デザインのスタートです。
「世の中ではまだ、”住まいが健康を害する”ことに気づかずに苦しんでいる人たちがいる。」「自然素材と介護の経験を活かした住まいづくりが、安全に安心して住み続けることができる「終の棲家」作りがしたい。」「家は家族が幸せになるために作る。」との強い思いから建築屋に転身しました。
「家族が幸せになる家」それが「本当に価値のある家」 本物の家は安全な素材・自然素材でつくります。井上建築は自然素材を取り入れた気持ちイイ家づくりが、大好きな地域密着の建築屋です。100の家族があるのなら、100の幸せの形があるはずです。『住まう人と一緒に学び、考え、悩み、喜びを感じながら、快適な生活で家族の幸せが続くようにお手伝いさせていただきたい。』
一緒に学び、考え、悩み、喜びを感じながらー。
「最後まで住み続ける家」 株式会社井上建築デザインは、
自然素材を取り入れた気持ちイイ家づくりが、
大好きな地域密着の建築屋です。
資料をご請求頂いても、電話をしたり、しつこく訪問したりということも一切しておりません。
実際には、少人数でやっていますので、そんなこと出来ないというのも事実です。
㈱井上建築デザインの家づくりに興味を持って頂ける方は、気軽にご請求ください。